実践理性

ドイツの哲學者、自稱哲學者、および文藝家は熱心にこの文書を耽讀したが、ただ彼らは、その文書がフランスからドイツに移植された時、フランスの社會關係がそれとともに移植されなかつたといふことを忘れてゐた。そこでこのフランスの文書は、ドイツの社會關係に對して、全くその直接實際的の意義を失ひ、ただ單純な文學的の姿を示してゐた。從つてそれは、人間性の實現に關するのんきな學究的思辨となるよりほかはなかつた。かくて十八世紀のドイツの學者にとつては、フランス第一革命の要求は、實踐理性の一般的要求といふだけの意義をもつたもので、革命的フランス・ブルジョアジーの意志表現も、彼らの眼中にはただ純粹の意志、正當の意志、眞の人間の意志の法則としてのみ映じたのである。  そこでドイツの學者たちの仕事はただ、新しいフランス思想を、自分らの古い哲學的良心と調和させるか、或ひはむしろ、自分らの哲學的立場からフランス思想を取りいれようといふのであつた。  この結合はちやうど、飜譯によつて外國語を取りいれるのと、同じやり方で行はれた。