キューバ反乱

キューバ反乱鎮圧戦の観戦

 

騎兵将校になったチャーチルは、戦争が起きる気配がないことを残念に思い、ナポレオン戦争時代に生まれたかったとよく愚痴をこぼしていた。

1895年、スペイン領キューバでスペインの支配に抗するマクシモ・ゴメスやホセ・マルティらの反乱が勃発した(第二次キューバ独立戦争)。関心を持ったチャーチルは軍から2ヶ月半の長期休暇をもらい、さらにスペイン政府にキューバの反乱鎮圧に協力したいと申し出て、キューバ渡航の許可を得た。 こうして1895年11月初め、同僚レジナルド・バーンズとともにキューバへ向けて出港した。途中ニューヨークに立ち寄り、母方の祖父レナード・ジェロームの友人であるアメリカ下院議員ウィリアム・バーク・コクランから歓迎された。チャーチルは政界進出の野望を持っていたので、コクランから演説手法について色々と手ほどきを受けた。またコクランの紹介でニューヨーク市内の各所を見学したが、とりわけ裁判所に驚いた。法廷が普通の部屋であり、裁判官も検事も弁護士もイギリスのようにカツラや法服を着用せず平服で出廷してきたからである。チャーチルは「伝統や威厳などまったくなかった。それでも絞首刑判決を下せるというのは、大したことだ。」と感心している。キューバに到着した後はスペイン軍と行動を共にした。チャーチルはこの従軍中にキューバ製葉巻と昼寝の習慣を身につけたという。

又、此の戦争中、チャーチルは『デイリー・グラフィック』紙と特派員契約をしており、報告書を同新聞社に送り、特派員として戦地に赴くことは、いい小遣い稼ぎになることを知った。