パンデミックの起源

パンデミックの起源 第一のパンデミックは、西暦541-750年、エジプトから地中海沿岸一帯に広がった、いわゆる「ユスティニアヌスのペスト」(plague of Justinian)であり、感染はヨーロッパ北西部まで拡大した。

第二のパンデミックは、西暦1331年-1855年、おそらくは元末の中国からシルクロード経由で中央アジア、地中海、ヨーロッパへと広がった流行で、しばしば「黒死病」と称される。

第三のパンデミックは、西暦1855年-1960年、 中国から世界各地に広がり、とりわけインドとアメリカ合衆国西海岸に広がった。

ペロポネソス戦争のさなかの紀元前429年、篭城戦術を用いてスパルタ軍と対峙していたギリシャ最大のポリス、アテナイアテネ)を感染症の流行が襲い、多数の犠牲者を出したことがトゥキュディデスの『戦史』第2巻に記載されている。

中国から中東、東欧にまで版図を拡大したモンゴル帝国によって、シルクロードの大部分がモンゴルの支配下に入った。

そして、ジェノヴァ共和国の植民地だった黒海周辺国とイタリア商人との交易や、ジェノヴァの艦隊、モンゴル帝国による西域侵攻などが欧州への拡散を助長したと考えられる。

エジプト、ギリシアのスパルタ、中国の元、ジェノヴァ共和国、医学に於いて何かあるのだろうか。