リーマン・フォン・ザンデルス事件 リーマン・フォン・ザンデルス危機

リーマン・フォン・ザンデルス事件    

リーマン・フォン・ザンデルス事件とは、ドイツ軍将校リーマン・フォン・ザンデルスが、イスタンブールを防衛するオスマン軍第1軍団の指揮官に任命された後、それにロシアが反対したことにより生じた危機である。  

リーマン・フォン・ザンデルス事件は、1913年11月10日にロシアの外務大臣セルゲイ・サゾーノフが、ベルリン駐在のロシア大使セルゲイ・スヴェルべーエフに訓令して、ロシアはリーマンの任務を「公然たる敵対行動」とみなすとドイツ側へ伝えさせたことから始まった。ロシアの外国貿易の半分はトルコの海峡部を通過しており、リーマンの任務はこの貿易に脅威を与えることに加えて、ドイツ主導でオスマン軍が黒海のロシアの港を襲撃する可能性も高め、さらに東部アナトリアへの拡張を目論むロシアの計画をも蹉跌させるものだった。  リーマンの任命は、オスマン帝国の首都でドイツが陰謀を企てているという疑念を呼び、ロシアから抗議の嵐がもたらされた。これに対する妥協策として、リーマンは地位が低く影響力も小さい監察官(Inspector General)という官職に任命されることで1914年1月に合意した。