1683 第2次ウィーン包囲

第2次ウィーン包囲(1683年)後の戦争で、中央ヨーロッパカトリック諸国を中心とする神聖同盟に加入しオスマン帝国との戦争に参戦。1700年のコンスタンチノープル条約でアゾフ海制海権を得た。 最初の積極的な南下外征はオスマン帝国に支配されていた黒海沿岸のクリミア半島であった。この政策を計画したのは皇帝エカチェリーナ2世。この治世下では積極的な外交政策によってロシアはコーカサスまでも獲得した。 黒海の航行権獲得のためエジプト・トルコ戦争の際にオスマン帝国を支援。しかしイギリスの軍事介入によって挫折。 1853年クリミア戦争によりオスマン帝国と直接開戦。戦争は優位に運ぶも、欧州列強がオスマン帝国を支持したため失敗。しかし1856年のパリ条約でのウィーン議定書はロシアにとって妥協的なものであった。