将軍テュレンヌ

スウェーデン軍はすぐに立ち去ったが、テュレンヌはアンギャン公と共に2万の軍勢でメルシー率いるバイエルン軍と戦い、8月3日のネルトリンゲンの戦いで大きな損害を出しながらメルシーを討ち取り、決定的にバイエルン軍を打ち負かした。病にかかったアンギャン公はまたもフランス軍司令官にテュレンヌを任命して戦線から離脱、テュレンヌは再度大規模に結集した皇帝軍に対し止めを刺さなかったが、代わりにトリーアを攻略した。

翌1646年にカール・グスタフ・ウランゲル率いるスウェーデン軍と共にバイエルンへ侵入、マクシミリアン1世に和平を余儀なくさせ、翌1647年3月14日に休戦条約に署名、戦争から離脱させた。

同年、テュレンヌは弱体化した神聖ローマ帝国軍へ攻撃することを申し出たが、マザランはスペインの不穏な動きを察して彼を代わりに対フランドル戦へ派遣した。