コンスタンティノープル総主教庁 

コンスタンティノープル総主教庁 オスマン帝国下における正教会の人々は言語や民族に関係なく正教徒として扱われていた。そのためギリシャ人、ブルガリア人、セルビア人、ルーマニア人、アルバニア人、そしてアラビア語を話す正教徒、トルコ語母語とするカラマンル など雑多な人々が正教徒として扱われ、一つの区分として丸くくりされてはいたが、母語を元に民族意識も二次的では要していた。彼らは正教徒として扱われたため、そのシステムの頂点にはコンスタンティノープル総主教が当てられ、教会システムもそのまま残された。

コンスタンティノープル総主教はスルタンの承認のもとに正教会の聖職者の任免権を保っていた。