塹壕

古代ローマではカストラの周囲に堀を掘ることがあった。 本格的な塹壕戦は、627年に中東で行われたハンダクの戦いが嚆矢と言われている。

イスラム教の開祖ムハンマドは、メディナへ侵攻するメッカ連合軍の騎兵部隊を妨害するため、ペルシア人技術者のサルマーン・アル=ファーリスィーに命じマディーナの周囲に塹壕(ハンダク خندق Ḫandaq/Khandaq)を掘らせて、攻撃に備えた。当時の中東では、騎兵による一騎打ちが伝統的な戦いであり、攻城戦の概念がない連合軍は攻略に手間取った。

連合軍はメディナ周囲の砂漠で野営を続けたことにより消耗し、最終的に攻略は断念された。

このためサルマーンは、アラブ諸国の軍隊で世界初の工兵とされている。なお、塹壕を掘るための金属製シャベルを発明したのもサルマーンで、世界初の塹壕戦からシャベルは武器としても使用されていた。

サルマーンが使用していたシャベルは現在でもエジプトにあるモスク(サルマーンの墓でもある)に聖遺物として安置されている。