王念孫

乾隆36年(1766年)の会試に向かう途中で読んだ江永『古韻標準』によって音韻訓詁に関心を抱く。同40年(1775年)の進士であり、庶吉士となる。永定河道の長官となり、名声が高かった。のちに官職を辞して郷里に帰り、汪中・劉台拱・程瑤田などと交友を結ぶ。ふたたび朝廷に召されて工部主事となり、治水工事に貢献した。

嘉慶15年に引退して学問に専念し、89歳で没する。