2023-02-09 金閣寺鹿苑寺の一帯は、鎌倉時代の元仁元年(1225年)に藤原公経が西園寺を建立し、併せて山荘を営んでいた場所である。またこれ以後も公経の子孫である西園寺家が代々領有を続けていた。西園寺家は代々朝廷と鎌倉幕府との連絡役である関東申次を務めていたが、幕府の滅亡後当主の西園寺公宗が後醍醐天皇の暗殺を企てたことが発覚したため逮捕、処刑され、西園寺家の膨大な所領と資産は没収された。このため、西園寺も次第に修理さえず荒れていった。 金閣寺鹿苑寺の一帯は、鎌倉時代の元仁元年(1225年)に藤原公経が西園寺を建立し、併せて山荘を営んでいた場所である。またこれ以後も公経の子孫である西園寺家が代々領有を続けていた。西園寺家は代々朝廷と鎌倉幕府との連絡役である関東申次を務めていたが、幕府の滅亡後当主の西園寺公宗が後醍醐天皇の暗殺を企てたことが発覚したため逮捕、処刑され、西園寺家の膨大な所領と資産は没収された。このため、西園寺も次第に修理さえず荒れていった。