9歳のときに姉・宋慶齢と共にアメリカに留学し、中学校、高等学校時代を留学先のジョージア州メイコン郊外の高級住宅街で過ごした。この時に身につけた流暢な英語が、後の政治活動に大きな影響を与えることとなる。なお、あまり勉学に熱心なタイプではなく、学内行事では学生を代表して旗手を務めたり、チアリーダーとしても活躍した。 ジョージア州の高校を卒業した後に、メイコンの女子大学・ウェスレイアン大学に一年間在学してからマサチューセッツ州にある名門女子大学であるウェルズリー大学に入学。
1917年に同校を首席で卒業。