顧炎武

顧炎武 顧炎武は本来の名を絳、字を忠清という。清代以後に名を炎武、字を寧人と改め、号を亭林とした。

蘇州府崑山県千墩(現在の江蘇省蘇州市崑山市千灯鎮)の出身。明末の東林党の流れを引き継ぐ政治結社復社に参加していた。順治元年(1644年)に李自成によって明が滅び、清が中国本土に侵入してくると郷里の子弟を組織して義勇軍を結成して清朝支配に抵抗して、各地を流浪しては反清の活動に積極的に携わっていた。  各地を流浪するにあたり、一緒に共する馬に書物を満載しながら文献と照らし合わせた実地調査を行い、地理や歴史の研究に勤しんだ。また、経学・訓詁学・音韻学・金石学などにも精通していた。その上で、陽明学を批判し、世に有益な経世致用の学を追究した。晩年は華陰に居を構え、清朝の仕官要請を断り続けた。