1987年9月14日群馬県高崎市 荻原功明15日 太田市大沢朋子誘拐事件

1987年(昭和62年)の誘拐殺人事件(功明ちゃん誘拐殺人事件)

1987年(昭和62年)9月14日(月)群馬県高崎市で発生。

1987年9月14日夕。荻原功明ちゃんは1人で家を出て「地神社」に向かった。普段は光則さんも一緒に行っていたという。

最初は身代金2000万円が要求され、その後に男児の父親光則の弟である警察官が金融機関が休みなのでお金は用意できないと対応。

その後の電話では男児本人が父親と電話をかわったりというやりとりがあった。この3回目の電話で男児はおまわりさんが一緒と言っていた。

その後の4回目の電話で要求金額が1000万円に減額。

家族は1000万円を用意したが、16日に高崎市鼻高町少林山近くの寺沢川にかかる入の谷津橋下で遺体が発見される。

司法解剖の結果、死因は砂や水を飲み込んだことによる窒息死であり、顎は骨折しており、胃の中はからっぽで食事を与えられた形跡はなかった。 また、首を絞められた跡や薬物を飲まされた形跡はなかったが、腹には殴った跡があった。

このことから、気絶させてから生きたまま橋の上から投げ落としたものと推定された。 死亡推定時刻は9月15日午前10時以前と見られ、4回目の脅迫電話は殺害してから身代金を要求する電話をかけていたことになる。

捜査班は、電話の声から中年の男と推定、身代金の額の変更などが場当たり的であること、身代金受け渡し場所や方法を指定しなかったこと、翌日が敬老の日で金融機関が休みであることなどを考慮せず身代金を要求していることなどから、金銭目的ではなく男児の家に対する怨恨や、計画性が薄く社会性のない異常性格者による犯行として捜査にあたった。

男児が「おまわりさんと一緒」と言ったことから当日に非番だった警察官も対象に捜査を行った。 しかし、懸命な捜査にもかかわらず犯人の行方は掴めなかった。 かろうじて逆探知で特定できたのは群馬県高崎市北西部地域で、該当回線は1万本以上ということだけだった。 この事件は戦後唯一未解決となった身代金目的の誘拐殺人事件である。本件のみ被害者は男児

なお、この事件は群馬小2女児殺害事件の前日に起こっている

 

大沢朋子ちゃんが子猫を母親の知人の犯人に見せに行くといって尾島公園に行った。電話はかかってこなかった。約1年2カ月後、公園から約2キロ南の利根川河川敷で小さな白骨遺体が見つかった。血液型や歯の治療痕などから、朋子ちゃんと断定。