^_^イギリスが協商を結んだ理由を、主にドイツの独断的な外交政策と、1898年からの英独建艦競争につながるドイツの海軍力増強に対応したものとみている。  ニーアル・ファーガソンに代表される他の歴史学者たちは、イギリスがドイツと同盟を組んでもイギリス帝国の安全保障が達成されないことから、ドイツよりもフランス、ロシアを選んだと議論している。  イギリスの外交官 Arthur Nicolson の言葉を借りれば、それは「ドイツ一国を敵に回すより、フランス、ロシア二国を敵に回す方が我々にとって不利」だったのである。ファーガソンは、イギリス政府がドイツからの協調の提案を拒否したのは「ドイツがイギリスに脅威をもたらしはじめたからではなく、ドイツはイギリスにとって大した脅威ではないと考えたからだ」と議論している。従って三国協商には二面性がある。つまりイギリスはフランス、ロシアとの関係を促進した反面、ドイツとの良好な関係を保つ優先順位は下げられたのである。それは「ドイツに向けられた敵意がドイツの孤立化を招いたというよりは、

むしろ新しい同盟関係のシステムそれ自体がドイツ帝国に対する敵意を誘導し助長した」のである。