モンテネグロ公国 

中世以降、モンテネグロの地はツェティニェの主教公が治める神政政治の土地(モンテネグロ主教領)として運営されてきた。モンテネグロオスマン帝国の強い影響下にあったが、自治権を保持して独自の文化を育んだ。 1851年に主教公となったダニーロ1世は、1852年にモンテネグロ公を自称し、自らの領地を世俗的な公国へと転換した。しかし、これを好ましく思わなかった宗主国オスマン帝国と対立が生じ、1852年には軍事衝突が発生するに至った。これはクリミア戦争の端緒の一つとなった。 1860年ダニーロ1世が暗殺されると、ニコラ1世が後継者として即位し、オスマン帝国を相手に本格的な独立戦争を開始する。圧倒的な戦力差に苦戦を強いられたが、1876年、セルビア公国ロシア帝国の支援のもと、オスマン帝国を打ち破り( モンテネグロオスマン戦争 )、ベルリン会議によって完全な独立国として認められた。